兵庫県加古川市加古川町稲屋に位置する曹洞宗(禅宗)寺院が福田寺です。
御本尊は十一面観世音菩薩(秘仏)です。他には阿弥陀如来(本尊両脇侍)、地蔵菩薩(地蔵堂・墓地)、弘法大師(地蔵堂)、稲荷大明神(鎮守様)らをお祀りします。なお、山門前には稲屋天満宮が位置しますが、これは菅原道真公が十一面観世音菩薩を念持仏とされ、天神様は十一面観世音菩薩を本地仏とするご縁によるものでしょうか。
山号となっている「大津山(だいしんざん)」は、もとは加古川河口の渡し・大津付近に位置していたことに由来すると考えられます。現在は加古川河口が堆積によって南下したため、その名残を山号に伝えるのみとなっています。
先代のご住職、第18世宮崎奕保禅師は第78世永平寺貫首となられ、曹洞宗管長を歴任されました。詳しくは下記をご覧ください。


福田寺の御先代、第十八世宮崎奕保禅師は、平成5年(1993年)に大本山永平寺第七十八世貫首に就任されました。その後、世寿百八歳にて平成18年(2006年)に御遷化なさるまで、曹洞宗管長職を歴任され、全国各地を巡錫、教化に努められました。
宮崎禅師は加西市の生まれで、当山にて10歳の時に第十七世小塩誾童大和尚のもとで得度されました。厳しい誾童師のもとで修業に励まれ、師が御遷化されたのち、29歳にて当山十八世に就任されました。爾来、札幌中央寺に移られるまで46年の長きにわたり、福田寺の御住職をお勤めになりました。その間、大本山永平寺で単頭職、後堂職を歴任され、本山でも修行僧の指導に当たられました。後堂職にあられたときに粟粒結核を患われ、帰山後も長期の入院を余儀なくされ、生死の境をさまよわれたこともありました。75歳のときに、札幌・中央寺に移られたのちは、大本山永平寺監院、同副貫首を歴任され、平成5年には92歳という高齢で大本山永平寺貫首に就任されました。
当山では宮崎奕保禅師の首先住職地(最初に住職に任命されたお寺)であることを記念する石碑を建立し、永代供養塔のそばには歴代住職のおひとりとして祀られております。
主著:『髪を断ずるは』『経行口伝考』『若き仏たちへ』ほか
伝承によれば、飛鳥時代(7世紀はじめ)に聖徳太子によって開かれたとされます。
鎌倉時代末期〜南北朝時代(13–14世紀)に活躍した赤松円心(則村)によって開基、赤松氏の庇護のもと、堂宇が整備されました。
文禄年間(16世紀末)には禅宗(曹洞宗)に改められました。

曹洞宗は禅宗であり、主に坐禅によって修行を行う宗旨です。
曹洞宗は「一佛両祖」として、仏教の開祖・釈尊(=佛)と、鎌倉時代(13–14世紀)に活躍した道元禅師(高祖)と瑩山禅師(太祖)を「両祖」として仰ぎます。その両祖が開かれたお寺、大本山永平寺(福井県)と大本山総持寺(神奈川県)を「両大本山」としています。
詳しくは下記の公式ホームページをご覧ください。
曹洞宗公式HP